苦労は買うべきなのか?
「若い時は苦労は買ってでもしろ」って言葉がありますよね。
誰が言い出したかは知りませんが迷惑な話じゃないですか?
誰だって自ら苦労をしたいわけではないと思います。
コンピューターで自動でできる作業を手作業でわざわざやりますか?
僕だったらやりません。
やる意味ありゅ?
そういう時に便利な言葉ですよね。
「若い時は苦労は買ってでもしろ」
考えてみると、上の立場にある人が自分より下の人に向けた言葉なんだろうなと思いました。
正当な理由や根拠はないけど、相手をとりあえず納得させるための便利ワード。
苦労した経験がいつか糧になる時が来るからと、来るかどうかもわからない未来の話をしてその場をごまかす。
言われた方も困りますよね。
未来の話をされたら拒否しにくい。
その時どうなるかなんて誰にも分からないものだし、相手が目上の人間であれば、「ああ、そういうものなんだ」となんとなく納得してしまいます。
そして、しなくていい苦労を押し付けられてしまう。
立派な社畜の完成です。
そうして育った社畜が教育する側に回って、自分と同じような人間を作ってしまうのではないでしょうか?
とは言え、苦労に意味がないと言うつもりはありません。
苦労の利点を考える
先程の例で挙げた、コンピューターで自動でできるけどあえて手動で処理した場合の利点を考えてみましょう。
・改善点が見つかる可能性
・科学の進歩ってすげー!
・先人すげー!
まず、どういう処理をコンピューターが行っているのか知ることが出来ます。
そうするとそのシステムへの理解が深まりますね。
理解が深まると、
もっとこうした方が効率が上がるのでは?とか
ここは省略しても同じ結果が出るんじゃないか、
というような改善点が見つけられて、自動化がさらに進められる可能性もあります。
あとは今まで使っていたコンピューターの凄さが分かります。
そこで、どうやって作ったんだろう?と疑問が湧いたら儲けもの。
そこがあなたの新たな出発点になるかもしれません。
ここまで書いて苦労は買うべきなのでは?
と自分が洗脳されてきました(手のひらグルグルマン
要は自分の考え方一つなのだと思います。
何をやるにも物事をどう考えるか、どう捉えるかが重要で、同じ作業をしても有意義だったと感じる人もいるし、何も得られない人もいる。
上の立場にある人はそういう事も一緒に教えないといけませんね。
「若い時は苦労は買ってでもしろ」と言うよりは、「何事も経験だ」と言われる方が個人的には納得できますね。
自分のしたことのない経験なら、なんでもやってみるべきなんだと思います。
そうしていれば勝手に苦労する。
というか嫌でも苦労するでしょうし。
と言いつつやりたくないことはやりませんけどね。
しかし、やりたくないことをやる上では苦痛である。
名言っぽく言ってみた。
もう一個思いついた。
苦労を知らない顔の方がいいのでは
何か事件を起こした犯人の顔が映ると、決まって顔品評会が開かれますよね。
・イケメン!抱いて!
・これは何人かやってる顔ですわ
・ハゲとるやないか!
などなど
そんな感じで、引きこもりやニート特集みたいな番組でも同じように品評会が始まります。
顔が幼いとか苦労を知らない顔だなとか。
30歳でこの顔かよ、みたいな。
思ったんですけど、
それって利点なのでは?
幼いとか苦労を知らない顔って要するに年齢に比べて顔が若いってことだと思うんですよ。
それって利点なのでは?
こんだけ健康志向が高まってきてる日本で顔が若いって単なる褒め言葉では?
というか苦労を知らない=悪みたいな風潮やばない?
なんなら雑誌やテレビなんかで「若さの秘訣は引きこもりにあり!」みたいな特集組んで、大々的に発表した方が良いのでは?
それだけじゃ消費煽れないから、カリスマニートやカリスマ的引きこもりマンがいてもいいんじゃないか!?
「やっぱりPC用の椅子はアーロンチェアじゃないと」
「紅茶はどこどこの高級茶葉を仕入れて、プロ(親)に淹れてもらってます」
的なコーナー作ればいいじゃん!
今日のまとめ
物は言いようだな。
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